2020年、デビュー50周年を迎えた『小柳ルミ子』さん。
「わたしの城下町」「瀬戸の花嫁」「お久しぶりね」など、数多くのヒット曲を持つ歌手として有名です。
さらには日本アカデミー賞女優、最近では「芸能界一のサッカー通」としても知られています。
そんな『小柳ルミ子』さんが9月28日(月)放送の「徹子の部屋」で語った内容について調べてみました。
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『小柳ルミ子』のプロフィール

宝塚音楽学校を首席で卒業
『小柳ルミ子』さんのプロフィールを見ていきましょう。
- 名前 小柳ルミ子(こやなぎるみこ)
- 本名 小柳 留美子(こやなぎるみこ)
- 生年月日 1952年7月2日
- 年齢 68歳(2020年現在)
- 身長 160㎝
- 血液型 A型
- 出身地 福岡市早良区
- 職業 歌手、女優
- 所属 プラチナムプロダクション
『小柳ルミ子』さんは、筑紫女学園中学校を卒業後、宝塚音楽学校に入学。
なんと、1970年(昭和45年)に宝塚音楽学校を首席で卒業されています。
数々のヒット曲を飛ばす
『小柳ルミ子』さんは数々のヒット曲を生み出しています。
退団した同年の1970年、歌手デビューの前に顔を売るためにNHK連続テレビ小説『虹』で女優としてデビュー。
翌1971年(昭和46年)4月25日にはワーナー・ブラザース・パイオニア(現在のワーナーミュージック・ジャパン)の邦楽部門初の歌手として契約。作曲家・平尾昌晃のプロデュースにより「わたしの城下町」で歌手デビューし、160万枚の大ヒットとなる。
同曲は1971年のオリコン年間シングル売上チャートで第1位を記録し、また第13回日本レコード大賞最優秀新人賞も獲得した。
引用:Wikipedia
小柳ルミ子が徹子の部屋で志村けんについて語った内容に涙…

『小柳ルミ子』の前座を務めていた志村けん
『小柳ルミ子』さんが9月1日、インスタグラムを更新。
2020年3月29日に新型コロナウイルスによる肺炎で死去した『志村けんさん』を悼んだ。
『志村けん』さんは、ドリフターズ加入前から『小柳ルミ子』さんのステージの前座を務めていたそうです。
徹子の部屋で号泣
黒柳徹子さんから『志村けんさん』の話題を振られると、今でも亡くなったと信じることができず、『志村けん』さんの映像を見ることが出来ないと話されていました。
続けて、「こんな時代だからこそ…ケンちゃんみたいな人が必要なのに…ケンちゃんがコロナに連れて行かれちゃった…」
と、時折言葉を詰まらせ、泣きながら語られてた姿が印象的でした。
コロナ禍の引退を救った大物歌手との感動エピソードとは
コロナ禍で、仕事がゼロというデビュー以来初の経験から「私はもう芸能界に必要ない」と落ち込んでしまい、引退を考えたと涙ながらに語る『小柳ルミ子』さん。
そんな『小柳ルミ子』さんを救ったのは、ある大物歌手の一つの記事でした。
週刊文春の桑田圭祐さんのコラムで、自身が大絶賛されていることをブログ読者からのコメントで知った『小柳ルミ子』さん。
さらに「先日はご自分のラジオで「小柳ルミ子さんは日本のレディガガだ」と仰って頂いた」と嬉しそうに語り、「何と嬉しい事でしょう」と素直に喜びを表現していました。
それに対し『小柳ルミ子』さんは、「素晴らしい【分析力】流石超一流のアーティスト」と、『桑田佳祐』さんを絶賛しました。
桑田佳祐さんに送った手紙は、原稿用紙4枚にも及んだことを徹子の部屋でも涙ながらに語っていたのが印象的でした。
9月28日(月)午後1:00~午後1:30
「徹子の部屋」(テレビ朝日)に出演する『小柳ルミ子』さん。
番組では68歳とは思えない抜群のスタイルでミニスカート姿も披露!
今後のさらなる活躍に期待しましょう!
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